2度目の被災地入り。
今度は何かをする為に向かいました。
その何か・・・
project2
【 Shoes for tomorrow 】<アスリートから、未来のアスリート達へ。子供達が一歩一歩進むための靴を届ける。>
曽田雄志 実行委員長が各スポーツメーカーに協力を直接お願いし、集まった運動靴・・・
約700足小さいサイズから大人サイズまで
これを直接渡す為、そして元気づける為!

志津川小学校では
震災の影響で遅れた、始業式・入学式の為に授業の余裕が無い中、45分という貴重な時間を
「体育」の時間として、アスリートとの交流の時間にしてくれました!
この限られた時間で、少しでも多く子供たちとの時間を作る為に
5~6時間掛けて、前日からスタッフとアスリートでやった事は・・・
子供達の上靴のサイズを見てサイズ毎の靴のチェックと、一足づつに名前を手書きで入れて
スムーズに子供達に手渡せる下準備。

これが終わる頃には外は外灯が無い為、真っ暗。
歩くのもままならない状況でした。
間で、先生たちが帰る前にと先生たちにも靴を配り、先生方も喜んでおりました。
先生たちも被災者なんです。
そして、大量の搬入・仕分けの状況も見てくれていたPTA会長さんが、
私たちの為に、当初予定していた現在使用されていない施設ではなく。
お風呂のついた施設を急遽用意してくれました・・・感謝です!
この町では海が見えない施設は少なく、避難所としてホテルなども抽選で用意されていましたが
応募はするものの、【 海が見える部屋 】という理由で、
「その部屋に長居できない・・・」という、町の人の話も聞きました。
海だけ見れば絶景の部屋が逆に恐怖の震災を思い起こさせているようです・・・
夜、アスリートの方々と色々な話をしましたが、心配は今後であるとの話がありました。
私は、親父の友人の魚介類の加工業を営む会社に立ち寄りました。
近所の同業の方々で協力し、仕事に必要な水を海からポンプで吸い上げて使える様に
なったようですが、地元の漁業が機能していない為、輸入の銀鮭などを加工して販売した所・・・
まったく売れないようです。
「 どうせ買うなら被災地で・・・ 」
と思う私ですが、買い手の意思は違うものかもしれません。
自宅も流され、何とか残った会社を動かそうとしても、結局は思い通りにはいかない様です。
プライムでは福島・宮城・岩手の和牛を一時的に買い付けたりしましたが、
これには喜ばれました。
北海道では海を隔てた分だけ、被災地の為に動きたい人がいる。
そんな人たちに少しでもこのことを伝えたいです。
そしてもう一つ「 野菜 」です。
私はこの会社社長の親父の友人と朝ご飯を食べました。
ソーセージ・ゆで卵・自分の会社で加工した「銀鮭」
野菜はレタス。
被災地では野菜が圧倒的に足りていません。
栄養バランスが崩れています!
これについても【 EN project japan 】では
何か出来るシステムを考えていますが、これは食に携わる飲食店の私達にも
無視できない状況だと思います。
私のやっている【 Twitter 】のフォロワーさんには
義援金を始め、小児の靴・手作りの雑巾・ペン・タオルなどを託されて
持って行き喜んでくれましたが
これは直接持って行った為、必要な所に渡す事が出来たから・・・が
毎日必要な物が変わり、受け取りがされづらい物も多々あります。
送る側の個人的な支援が、届かないケースもあり悩んでいる人もいると思います。
少量の物に関しては、特に。
現状見てきて、全て足りているとは思えませんが
今回の被災地では、まだ分配されていない「 義援金 」栄養の上では「 野菜 」が印象に残りました。
被災者は避難所も何度も移動し
現在の状況は現地の人間にしか、わからない事も。
被災家族で被災者に近い距離の私でも行かなきゃわからない現状には悩んでいます。
私は、今回の【 EN project japan 】のメンバーに
『 ここがどんな場所であったか 』などの道先案内や仲介的な役割での参加の為、
実際にアスリートの実演や交流には立ち会えませんでしたが、その後に頂いたPTA会長さん
のお礼の電話と、その時のスタッフの写真で子供達と学校関係者の方々の
「 笑顔 」が物凄く嬉しかったです!
何をしても良いが、相手の気持ちに少しでもリンクして相手の「 笑顔 」
を想像して取り組めば自然と繋がるような気になりました。
【 EN project japan 】のメンバーに被災地南三陸町に住んでいた人間として
感謝すると共に、被災地で協力してくれた学校関係者の方々にも本当に感謝です!
そして南三陸町では一家に一人という制限があるようですが、
瓦礫撤去に時給1,000円・海での作業に時給1,200円と仕事が出来ておりました。
加工業の方も含めて、あんな状況の町でも前向きにくじけず、やっている人達を尊敬します。
次回は大分先になるでしょうが、南三陸町の方たちにまた「 驚かせて 」頂きます!
北海道の方々にも継続的支援をお願いいたします。
前にも言いましたが、町では知らない人にも必ず挨拶します。
誰しもが助け合い「 古き良き時代 」の日本人に良い意味で戻れたらば
被災前以上の経済・生活になると私は思います。
あの頃の町が今も懐かしいです。


札幌駅前
焼肉レストラン プライム
佐藤直樹
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