スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[--/--/-- --:-- ] | スポンサー広告
2回目の被災地入り(前)【 EN project japan 】
前回、被災地入りした時は

・祖母を札幌に連れて来る。
・被災地のそして自分の生活した所の状況を確認し、北海道で伝える為。

今回は違う目的を持って行きました。

①震災2か月後の状況確認

②祖母の、り災証明書の取得

③プライムで集めた『義援金』を直接手渡しする事

④私、店長も参加していて、元コンサドーレ札幌の曽田雄志が代表を務める【 EN project japan 】の活動


前回4月5日に被災地南三陸町入りした時は東北はガソリンが無く、
一般の方は入りづらい状況の中、周りの助けもあり不安の中での出発でした。

今回5月12日に行く時は1か月での変貌の「 期待 」と自治体などの状況変化、
そして、【 EN project japan 】でTOPアスリートが与える地元への「 パワー 」

全てが前回とは違いました。

被災後初めて4月に現地入りした時に、いち早く現地の状況を聞きに来てくれたのが他ならぬ元コンサドーレ札幌【 曽田雄志 】、EN project japan代表として、震災前から決まっていた海外留学を後回しにしてまで、東日本大震災に正面から向き合いプロジェクトを発足させた人間でした。

その時に現地の状況を写真を見せながら説明し、
私が気になった避難所でサッカーをしていた子供達の「 靴 」の話を真剣に聞いてくれました。
このプロジェクトの発足の現場にいた私は帰札後に支援として非常に難しいであろう「 運動靴 」を提案しました。
これに対して曽田君は「 やりましょう 」の一発回答。
その後は各スポーツメーカーとの交渉の末、今回の被災地訪問、

EN project japan
project2 【 Shoes for tomorrow 】
<アスリートから、未来のアスリート達へ。子供達が一歩一歩進むための靴を届ける。>

に繋がりました。

被災地へ向かう実行委員及びアスリートは

実行委員長 曽田雄志(コンサドーレ札幌)
副実行委員 馬場杏輔(写真家)
副実行委員 八戸香太郎(現代書道家)
アスリート 飯村喜則(アイスホッケー日本製紙クレインズ)日本代表
      外崎 潤(アイスホッケー日本製紙クレインズ)日本代表
      春名真仁(アイスホッケー王子製紙イーグルス)日本代表
      阿部友和(北海道バスケットボールクラブ)

みなさんは5月11日夜にフェリーにての出発でしたが、
仕事の都合もあり、翌日12日午前7:45に飛行機で前回と同じ「 岩手花巻空港 」に向かい。
午前中には南三陸町に入る事が出来ました。

被災地入りした時は「変わってる??」と思うほどのトラウマの様に蘇る記憶と
ほぼ変わらない状況でした。
少し瓦礫をまとめ、不自然に電柱だけがきれいに立ち並ぶ光景でした。

まず向かったのは南三陸町仮役場「 ベイサイドアリーナ 」

こちらで祖母の「 り災証明書 」の発行手続き。
そしてプライムでお客様に協力して頂いた「 義援金¥300,055 」を手渡し。
義援金を持って行き、役場の方と話をしていると
「 町長を呼びますので少しお待ちいただけますか? 」と言われましたが、
証明書の発行も終わりタイトなスケジュールの為、折角のお話でしたが遠慮させて頂きました。
でも嬉しいですよね!

その後一度、志津川小学校に行き今回の学校との橋渡しをしてくれた
PTA会長さんを訪ねて、海水浴場のある袖浜にある親父の親友の自宅にお邪魔しました。
ここでは前回高台ながら、津波で経営していた民宿が倒壊し、津波の終着地でもあり
瓦礫が道を塞ぎ酷い光景でしたが、こんなに撤去が進んでおりました。

4月5日時点
4月5日

5月12日時点
5月12日

多少角度が違いますが、道が現れ海が見えるようになりました。
この光景の違いは震災前も含めて複雑でしたが、目に見える初めての形の変化でした。

そして、ここで【 EN project japan 】メンバーと合流。
実際に、自宅避難の親父の親友に家にあげて頂き、色々な話をしてくれました。

津波が来る前に5~6m位の放送だったのが
実際に見える沖にある島を見ると、

「 みるみる水位が下がり、オレンジ色の海底が姿を現し、その時点で避難している場所ではダメだと思ったから更に坂の上まで避難した。」

との事、私達ならば5~6mと放送されれば、「 そんなもんだろう 」と、最小限の避難しかしなかったはず。
海の近くに住み、危険なのをよく知っている地元住民の町の情報ではなく、今までとは違うという判断をした「 目 」が生存に繋がったのです。

そして、ちょうど下校時間の孫を「 助けに行け! 」と息子に言った後に、
「 息子を自分が殺してしまったかもしれない・・・ 」と、よぎらせる程の驚異の津波が襲ってきたのです。

こういう話を真剣に聞くメンバーと私達、普通には聞けない話を聞かせて頂きました。

そして、地元の方の北海道や世界の方々へ「 恩返しをしなければならない 」との言葉に
こちらは「 出来る事は探してでもやらなければいけない 」と思わせました。


アスリートにはどう映ったのでしょうか。

次回につづく。
スポンサーサイト
[2011/05/17 17:45 ] | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0)
<<2回目の被災地入り(後)【 EN project japan 】 | ホーム | 南三陸町より2日目(後)>>
コメント
素晴らしい活動。
アスリートによるプロジェクト!
素晴らしいに尽きる。
被災地で見たことを伝えすぐに動き、被災地が必要としているもので目に見えにくい支援。

そしてアスリートによろ子供達への遊びの提供。

何より嬉しい事だったでしょう。

アスリート、プロジェクトメンバーの方々にはどう心に響いたのでしょう。

そして今言える事は継続は力なり。

些少の募金、被災地への思い、自分達の生活を崩さないぶれない支援。

これではないでしょうか?

[2011/05/17 19:46]| URL | はみぱ #a1baVtk. [ 編集 ]
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバック URL

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。