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南三陸町より2日目(後)
今回私達プライム店長・マネージャーの育った小さな町が

津波にのまれました。

祖母が避難所生活し、その後隣町の登米市の病院へ搬送され
祖母を北海道へ連れて来る為、そして現地の情報と親父の友人などに会う為に
第二の故郷「宮城県本吉郡南三陸町」へ向かいました。
みなさんには知って頂きたい現地のリアルな情報です。

全てを一回では伝えられませんので何回かに分けて。


4月6日(2日目)午後

この日の午後は南三陸町の仮役場が設置されている本部「 ベイサイドアリーナ 」
札幌で言う「 きたえ~る 」の様なスポーツ施設に向かう予定でしたが、

その前に近隣の親父の友人に会いに・・・

親父の友人は家は流されましたが、高台にある自分の会社(水産加工業)に避難しております。

会社はあれど、ライフラインはこちらも皆無、仕事をしたくても出来ない状況。
こちらの会社はこれから「 銀鮭 」などで稼ぎ時、この町は民宿・漁業・加工業と冬の間を
我慢し、これからの時期から・・・という時。

被災後の脱力感が半端でないです。
それでも、出てきた言葉は「 遠い所からよく来たな~ばあちゃん大丈夫だったか?
良かったな~良かった。飯食ったか?」と他人の心配です。

私は被災で家を無くした事やこの荒野の状況に、気を取られましたが加工業も今後の
道は?形の残った会社家屋ですが、この町の仕事の動きは先が見えないのも事実。
家屋の維持も含めて大変です。

そしてこの「 銀鮭 」はある人に聞いたのですが、北海道釧路市などの稚魚?卵?を購入し、
養殖していると聞きました。

という事は、北海道の販売業者は売り先が無くなってる・・・という事です。
他人事ではないんです。全ての面で。

ただ、この震災がもし真夏の海水浴客や観光が多い時期なら・・・身元の確定はより
一層大変な事になっていたでしょう。

親父の顔見て「 来たか~ 」の緩んだ顔は忘れられません・・・




そして「 ベイサイドアリーナ 」
こちらは総本部となり、自衛隊・消防など全てが集まる場所。

お医者さんは「 イスラエル医師団 」が被災者のケア・治療に来ていました。
地元の方も非常にしっかり見てくれている為、大変感謝していました。

この町唯一のお風呂もこの施設内、自衛隊が設置したお風呂に時間分けされて
各避難所から「 ベイサイドアリーナ 」まで入りに来ます。ここしかありません。

ここの総本部ではプレハブで仮役場があり、住民票などが取得できます。
こちらでの住所変更などで、本籍が南三陸町志津川・・・と入っていれば
当面は北海道に来ても治療は無料で受けられるとの事です。

こちらではボランティアスタッフなども多数おり仕事を手伝っておりましたが
目についたのはバタバタとしている光景です。
被災から3週間たった今も手続きが容易ではない上に、
被災家族への配慮に欠ける部分も見えました。

「 国は被災者への保障をしたくないのか? 」と思わせる事があり、疑問を
感じました。

ここ「 ベイサイドアリーナ 」での奇跡は多数避難者やボランティアなどが
入り混じる中で、前回志津川小学校の避難所で会えなかった親父の友人の
「伊藤さん」にバッタリあった事です。

同じく証明書などの申請に来たようですが、非常に対応に怒っておりました。

ベイサイドアリーナでの出来事は何か皆さんを混乱させそうなのでブログでは
伏せさせて頂きますm(__)m

手続きが一通り終わりましたが、札幌からまた南三陸町に手続きに来なければ
ならなくなりました。
例えば身内のいなくなったお年寄りだけでこのベイサイドアリーナでの手続き
などが出来るのか??

これも疑問です。




この後はまた親父の友人宅へ顔出しに・・・
そこでも子供が外で遊んだりして、子供の無邪気な行動に大人が助けられている
ように見えました。

そして、「 暗くなる前に町から出るんだぞ・・・」とも気をかけて頂き
午後2:30頃友人宅を後にしました。


ここで私と親父は2人で一緒にこの南三陸町
でたった一つだけ無理をしました・・・


それはこの家族に「 あったかいケンタッキーフライドチキン 」を届けてあげたい。

というのは、宿泊先に向かう時にケンタッキーの看板「ここから1.5Km」という
のを見つけていたから・・・

旨いもの食べさせてやりたいな・・・

飛ばせばギリギリ夕暮れには町を出れるのも、この滞在で時間を確認しながら行動
していたのでわかっていました。

どこにあるのか分からないし、商品があるのか営業しているのか分からないけれど、
あの看板目指して向かい。
地震の影響で橋が通れず迂回し渋滞の中、気づけば「全然1・5kmじゃないだろ~」
みたいな所まで・・・そして買い込み。

再度南三陸町へ・・・この時すでにPM4:00

PM5:30には南三陸町を出なければいけない。

かっとばして現地に着いたのはPM5:45。
到着後には走って家まで二人で届けると、先程別れた私達が戻ってきたのに驚き、
何で来たのか知ると家族みんな出てきて喜んでくれました。

まあ少し照れくさいのも、時間が無いのもあり、一目散に車で町を出ました。

今回私たちが帰って来た日、震度6強の地震がこの町を襲い、持ちこたえていた
親父の親友の民宿の屋根も落ちました。
またも津波の危機を感じ恐怖を感じたことでしょう。
これからも見守り、無事と早期の安心した暮らしを願います。


私たちの今回出来る南三陸町で出来る行動はあまりにも少なかったかもしれないですが、

行かなきゃわからない事が多かった私達の中では価値ある滞在でした。

今回来たことで北海道に戻ってする事が見えて来た事で
人に伝える事も、よりリアルに伝える事が出来ます。
これは相手に身近に感じてもらう為に必要な事です。

被災地はここだけではないです。
太平洋側、そして北海道でも多数の地域で被災を受けています。

何かをしたいとは思っているはず、でも行動が大事です。
仲間を集める事は出来るず、仲間に継続して共通の意識を持ってもらうのが難しいです。

今被災地では「 今はこんな生活で皆さんに助けてもらってるけど、この助けを無駄にせず
復興という形で見せる! 」という人が多くいます。

今必要なのは被災されていない方が、普段通りの生活を維持して
元気な地域を増やす事。

↓↓↓

元気な人が、元気のない人を元気にする手伝いをする事。

消費も含めて同じだと思います。
プライムも、ずっとは出来ないでしょうが、

今回 黒毛和牛を【 宮城県 】【 岩手県 】を出しております。
もちろん希望の方には北海道産もご用意していますが、出来る事はしていきたいと思っています。

そして南三陸町に、これから向かう人は是非ご一報ください。
教えれる事はお教え致します。

個人として出来る事は限られております。

{ 私は }
思い出の写真や、思い出の品が無くなってしまい
友達もいない北海道札幌での生活で少しでも多くの新しい思い出を作ってあげる事と

{ プライムとしては }
今まで沢山のお客様に来て頂き、沢山のお友達が出来たお店ですので
今後初めて来るお客様も含めて、被災地の状況や被災者の思いも伝えて少しだけかも
知れないけれど、継続的な支援を被災地に向けて出来れば・・・と思います。


そして来週から本格的に始動する
元コンサドーレ札幌 曽田雄志氏が代表になり、
誰でも理解し易い、社会貢献活動・支援活動の団体

「 EN project japan 」

は15日~札幌駅地下歩行空間にて北海道のアスリートが集まり
「 東日本大震災 」への義援金活動をします。

誰しもが助け合い「 古き良き時代 」の日本人に良い意味で戻れたらば
被災前以上の経済・生活になると私は思います。
DVC00019 - コピー

私がどれほどみなさんにこのブログを通して伝えれたのかはわかりませんが
私がいる事で被災後、身近に感じてくれた人はいるはずです。

今後もちろん私は南三陸町志津川に行く事になるでしょう。

そしてあの傷跡を絶対に忘れはしないでしょう。

IMG_1519 - コピー


私はあの町の人達の力強さに今後驚かされる事を希望します。



長々とブログにお付き合いありがとうございましたm(__)m
今後もよろしくお願いいたします。
焼肉レストラン プライム

佐藤直樹



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[2011/04/12 19:19 ] | 未分類 | コメント(3) | トラックバック(0)
<<2回目の被災地入り(前)【 EN project japan 】 | ホーム | 南三陸町より2日目(前)>>
コメント
やはり、何か無理をして来ましたね!しかしいてもたってもいられなかったのでしょうね。今だ強い余震が続いています。次回行く時は駄目ですよ!
佐藤さんの『現場』からの報告を受けて、被害の実体が少しずつ明らかになりました。
そして私が辿り着いたのは人と人との『絆』です。
今回の行動でお父様とまた一つ『絆』が深まったのではないでしょうか?

また店を任せるにあたりマネージャーに秘伝書を残した時にも、何か思う事あったのではないでしょうか?

このブログを読み、私も子供達と妻を改めて、ありがたいと思い、父母も元気でいる事に幸せを感じております。

そして今はまだはじまったばかり、これから出来る事をしっかり被災地を思い。地に足をつけ元気にいきましょう!

まいど生意気なコメントですみません。

てんちょv マネ☆


パパよりpa(^^)pa
[2011/04/12 20:27]| URL | はみぱ #a1baVtk. [ 編集 ]
夢じゃない
ブログまとめお疲れ様でした。
被災地に向かい生の声を皆に伝える事はとても大事な事だと…。
私達はテレビを通して、そして今は少し被災地の元気を取り戻しつつある様子をメディアを通して見ている為、ここまで大変な現状だとはやはりどこか遠い目線であったと…。
早1ヶ月が経ち、今は福島原発の「レベル7」が多く取り上げられ、被災地の現場は少ないですよね。
今何が出来るか、そして長い目線で何が出来るか、また改めて考えさせられました。
子供・大人(男性・女性)では必要な物資の違いも改めて感じました。
今元気で過ごしている私達には何が出来るでしょう。
何をしたら喜ばれるでしょう。
何度「夢であって欲しい」と思った事か…。
でもこれは本当に「歴史に残る」であろう大震災…。
長い期間を見据えて考えて、
共に助け合い、協力し合い、被災地の復旧・復興を願っています。
※余震は続いています。どうか無理だけはしないで下さい。
向かう時は必ず呼ばれる事を忘れないで下さいm(__)m

被災地に向かい大変な(無茶な)経験をして、伝えて下さり「ありがとうございます」。
[2011/04/13 07:15]| URL | E #- [ 編集 ]
今自分に出来る事
お疲れ様でした、また、お見舞い申し上げます。
私は、秋田県横手市在住のオッサンです、横手でも、行政、青年会議所,商工会、等々支援活動をしていますが、支援場所が違います。
志津川は私にとって思い出の地、どうしても志津川のみなさんの役に立ちたくて、4/9独りで支援物資(少々ですが・・・)を届けてまいりました。
実際に見るのと、映像で見るのでは大違いでした、あまりの凄惨さに涙が止まりませんでした。
地元に帰り友人たちを集め、「今自分たちに出来ることは何だろう、微力でも、もっと直接的に支援する方法はなんだろう?」
「先ずは現地に一緒に行くべ!!」。
今週(4/16)も少々の食糧と燃料等を届けに行ってきます。
管理された避難所(志津川中学校)には物資が結構あるようでしたし、私達は物資の届き辛い、孤立した集落に届けたいと思っております。
まだ賛同者が数名なので、今回も物資は少々です
これからもっと賛同者を拡大し、ボリュームのある支援を、行政等の手の届き辛い方たちへの支援を継続して行きます。
5月の連休にはマンパワー支援をしたいと思っております。

物資の行き渡りにくい集落等ご存知でしたらアドバイス頂けますでしょうか?
[2011/04/13 16:21]| URL | tka0723 #hYUWE63A [ 編集 ]
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