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南三陸町より2日目(前)
今回私達プライム店長・マネージャーの育った小さな町が

津波にのまれました。

祖母が避難所生活し、その後隣町の登米市の病院へ搬送され
祖母を北海道へ連れて来る為、そして現地の情報と親父の友人などに会う為に
第二の故郷「宮城県本吉郡南三陸町」へ向かいました。
みなさんには知って頂きたい現地のリアルな情報です。

全てを一回では伝えられませんので何回かに分けて。

4月6日(2日目)
到着日からお世話になった民宿は南三陸町に一番近いであろう隣町の
お世辞にも立派とは言えない民宿ですが、宿泊はどこもメディア・ボランティアで
長期で埋まり宿泊先だけ決まらなかった私たちの話を唯一聞いてくれた民宿です。
問い合わせは1週間以上何件に電話したでしょう。
この切迫した地域では話を聞く前に電話を切られたりと、理解できるだけに
燃料事情の不透明な中で防寒して車での寝泊りも覚悟していました。
そんな中、「 宴会場で良いなら・・・ 」と民宿の息子さんの
ご厚意で泊めさせて頂けることになりました。
こちらの事情も知っているだけに非常に気に掛けてくれて、暖かい民宿でした。

疲れた1日を振り返り親父と酒を飲み、
南三陸町志津川の方々の力強さに感動していると余震が・・・
実はこの余震知っている人もいるかと思いますが、1日5~10回程度あります。

震度1~3位では宮城のテレビでも放送しないのです。
そして最初は怖がっていた子供でも震度4くらいまでなら何事もなかったかの様に生活しています。

この日の夜も震度3程度の余震があり、落ち着いて寝る事もままならない夜でした。

朝早くから私達親子は「 実家探し・思い出探し 」に向かいました。
私が見つけたかった物は、昨年行った時に祖母が嬉しそうに
見せていた「 米寿の盾 」と小さな時に祖父に悪い事をした時に
脅かされた「 天狗のお面 」

目印も無い荒野の中、少し探しましたが紛れもない「 実家 」を発見。
IMG_1506.jpg
昨年行った時に撮った写真と同じ様に撮ってみました。
DVC00018.jpg

室内の状況と見比べてやっとわかる位でしたが間違いありません。

写真に残るL字の廊下の骨組みが残っていて良かったです。

残念ながら私たちの探す家の物は見つかりませんでしたが・・・
こちらを見つけました
2011-04-06 10.08.32
この家族には大事な思い出の写真と名前。
私は自分で誰かの思い出を見つける事が出来て良かったと思いました。

この後向かったのは亡き祖父のいるお墓、ここにはどうしても行きたかった訳があります。

被災後、メディアで見つけショックを受けた写真の一つが、この墓場から町を撮った写真。
ニューヨークタイムズ社で収めた写真の光景は、私も・・・そしてこの町の人達が墓参り
の帰りに「 必ず誰もが見る光景 」なのです。
ニューヨークタイムズ社が撮った被災地の写真はその時点で 172枚 数ある被災地の
写真の中の5枚目に出てきたのがその光景からの写真でした。
下の写真は私が撮った写真です。
IMG_1535.jpg

お墓では震度7とその後の余震の影響で墓石が倒れたり、ズレたりとただでさえ
密集したお墓が倒れていて、自分の祖父の墓まで辿り着くのも大変でした。
祖父の墓は、墓石がズレていましたがギリギリ持ちこたえた感じでした。
お水が出ない為、墓に水をやる事も出来なかったですが、最低限の掃除をして
墓石を戻そうと二人掛かりでやってもビクともしない墓石・・・

ちなみに南三陸町の『 石屋 』さんは津波で流されてしまったそうです。
ご冥福をお祈りいたします。

そして向かった先は「 志津川小学校 」今回訪れた2番目の避難所です。
2011-04-06 11.14.09
こちらでは避難所のあらゆる事が聞けました。

まず、親父の友人『 伊藤さん 』はこの避難所をまとめていた一人でしたが
到着した時には隣町登米市で働く息子さんの会社社長のご厚意で住居と仕事を
用意してもらえたらしく、避難所で会う事は出来ませんでした。

避難所ではよく見る段ボールで壁を作る様子は、昨日行った高校も含めて目にしませんでした。

ここでしたのは祖母の『 り災証明書 』の発行手続き。
『 り災証明書 』とは災害により、住居が【 全壊 】や【 半壊 】を証明するもので、
私の聞いた所【全壊300万円】【半壊250万円】と聞いており、この証明書が無いと
受けられないそうです。

隣町で入院中の祖母は直接来る事が出来ない為、代わりに手続きしようとしましたが
本人が必ずいなければ、発行出来ませんでした。

手続き中には避難所の若い方たちが協力して、受付業務を担当しており話を聞けました。

「今必要な物はなんですか?」
・おばちゃん達の下着が足りない
・子供達の靴が足りない
・お皿・箸・コップ

が、出て来ました。
若者が答えていた足りない物に自分たちの物は入っていませんでした・・・

・女性用下着は物資として入ってきても、サイズもあるのですぐ無くなるそうです。
そして防寒の類はかなりの量が来ており、これから暑い季節になるので肌着などの
薄手の服が必要な様です。

・子供達の靴は高校でも同じでこちらは体育館が寝泊りする様になっている為、
外で遊ぶ子供たちはすぐに穴が空いたりして、代わりが無い為。

・そしてお皿・箸などは・・・当初はゴミになる為、各自洗って使っていたそう
ですが各避難所では【 ノロウィルス 】が発症した被災者が出た為、急に少なくなった様です。
ノロウィルスについては、Twitterでも皆様が気に掛けていた対処も、
避難所にお医者さんが居る為、隔離・塩素消毒などで私の目からは避難所での
対処はしっかり成されているように見えました。


そして北海道の動きを伝えて
「今して欲しい事は?」には

・子供たちの為にスポーツ選手など来て欲しい。
子供たちも簡単に出歩けない地域の南三陸は他の地域で見るような
スポーツ選手などが来ておりません。それはきっと、「安全が確保できない」や
「ライフラインが回復していない」など被災地の酷さが妨げているのが原因の一つかと思います。
が、子供達・大人の身動きの取れないストレスにはスポーツ選手などと普段と
違う楽しみも必要な気がしました。
このブログを書いている今日は、「とくダネ!」の小倉さんが南三陸町に、そして
昨日も南三陸町内の取材が行われてテレビへの頻度が多くなってきました。
これからスポーツ選手などに元気を分けてもらえると私も嬉しいです。

そして今日の「とくダネ」で小倉智昭さんがこのような事を言っていました。
「最初にこの南三陸町に入った時、本当にこの町が復興できるのか?と思いました。
・・・今後2~3年おきに、この地へ見に来たいと思います。」

私もそう思いましたが、祖母が被災した時、安否確認が取れず89歳で一人暮らしの
祖母を言えないながらも「無理ではないか?」と考えていたのは確か。
ですが、最悪の状況でも「願掛け」をしたり、情報を集める事を諦めず続けた結果
・・・生存が確認できた。
であれば、この南三陸町の人達の力強い話を聞いた後に私が「 無理だ 」と
思う事はもう無いです。

絶対に南三陸町志津川は復興できます!

南三陸町より2日目(前)でした。        続く。



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[2011/04/09 18:28 ] | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0)
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コメント
本当に必要な物
靴は必要ですね!せっかく元気よくサッカーしても長靴では・・・。大人が子供達を優先し守り、子供達が笑顔で過ごし、大人が癒される。今は必要な事です!スポーツ選手が訪問されるのは大人も子供も癒されるでしょう。私達にできる事をしましょう!そしてじぃちゃんはきっと、『なっ!俺は大丈夫だろ?この街を守る。ばあちゃん頼むな!』と
[2011/04/11 15:21]| URL | はみぱ #a1baVtk. [ 編集 ]
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