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南三陸町より1日目(後)
まず昨日の報告ブログでのコメントなどに感謝します。

今回私達プライム店長・マネージャーの育った小さな町が

津波にのまれました。

祖母が避難所生活し、その後隣町の登米市の病院へ搬送され
祖母を北海道へ連れて来る為、そして現地の情報と親父の友人などに会う為に
第二の故郷「宮城県本吉郡南三陸町」へ向かいました。
みなさんには知って頂きたい現地のリアルな情報です。

全ては一回では伝えられませんので何回かに分けて。

4月5日午後の南三陸町志津川字袖浜より

自宅避難している親父の親友の家には、この時に事前連絡し、
「 足りないものは? 」と確認し向かいました。

それは灯油。

配給の為、順番が回ってくるまでに時間が掛かるそうで、
岩手県花巻のホームセンターにて購入しましたが、一人36L限定でした。

灯油を届けて話を聞いて、北海道での動きや世界の支援をお伝えしました。
ラジオしかない情報ではじめて聞く部分が多数であったようです。
そして北海道の話になると・・・

「ラーメン」「室蘭焼き鳥」が現地に来たらしく、非常に喜んでおりました。

配給では被災当初は「おにぎり」が一人1個で
この時も大人ばかりでなく、小さな子供までも「何一つ文句を言わず」に食べていたそうです。

現在は大分改善されたものの、果物などが支給され子供たちのおやつに。

お風呂はベイサイドアリーナという、避難所(南三陸町仮設役場)の自衛隊が用意しているお風呂に
時間を区切り入りに行っているようですが、お年寄りなどは移動が大変です。

そして中々見せない部分では、やはり強盗などもあるようで被災後、漁協役員の方が命がけで漁協金庫の中の現金を運んだそうですが、他で被害はあったそうです。
それを保持する期間は怖くていられなかったとも聞いています。

現地の方に注意されたのは夜は出歩かない事、これは電気が通っていない為、外灯・照明が一切なく地元住民でも道に迷い、車なら瓦礫に入ってしまう恐れがある為。

ここでの町民の希望は「電気は無くとも、反射板などつけてくれれば・・・」懐中電灯や車でも反射板で少なくとも道が確認できれば・・・との希望がありました。

この南三陸町に滞在出来る時間は日が昇ってから午後5:30が限度だとも、この日に初めて気づきました。

次に向かう途中には私たちの祖父が亡くなった「志津川病院」、テレビでも見かけたかと思いますが「サンポート」。
病院には私が20代・弟(マネージャー)が高校生の時に、祖父の看病に2週間ほど毎日通った事があります。
IMG_1497.jpg
IMG_1499.jpg
その時の記憶が蘇り、変わり果てた病院を見て深いため息が出ました。

病院には夜遅くまで近所の人が「気になってさ・・・」と祖父の様子を見に来たりと、田舎ならではの思い出。
サンポートはこの南三陸町志津川であれば誰もが小さい時に両親や祖父母に連れられてきた事があるでしょう。
この施設が被災後初めてテレビで放送された時は絶望的な気持ちになりました・・・

そして向かったのは、「 SOS 」をグラウンドに書き助けを求めていた、「 志津川高校 」こちらには私の祖母が避難しておりました。
2011-04-05 14.29.00

避難所の寝泊りするのは「武道室」で、畳がある為非常に暖かく感じました。
裏では自衛隊が炊き出しを行っており、避難所としてはとりあえずの生活は出来ているかのようで200名くらいの避難者が未だに生活しています。
私と親父で少量ですが物資も持って行きました。

札幌からという事にとても感動され、驚いていました。
それと共に祖母の健康状態を気にして頂き、誰もが誰もを気に掛けている町の一体感を垣間見ました。

この「 志津川高校 」で印象に残った事が2つあります。

まず一つ目が
こちらのグラウンドでは15名位でサッカーをしておりました。
小学生から大人までが、、、とても楽しそうに。
2011-04-05 14.38.00

そこで気になったのが「 靴 」
2011-04-05 14.46.22
長靴でサッカーをしていたのです。

というのも、子供たちも含めて避難所に辿り着くまでには急を要し、靴も一足で避難してきた人たちがほとんど。
ただ、あるもので楽しむというのは近年の日本の家族に見て欲しい光景でした。
運動する時に履く靴を買う事すら現状では難しいのですから。
私は自然に車にサッカーシューズなど取りに行こうとしましたが、ふと考えればレンタカー、自家用車には靴が何足か入っていたので体が自然に動きました・・・おおぼけです。

そして二つ目が・・・
帰り際に気づいたグラウンドのバックフェンス・・・
皆様見えるでしょうか?
IMG_1503.jpg

『 感謝 』の2文字が・・・

私は呆然と立ち尽くして、涙が出ました・・・本当です。

こんな状況でも絶対に「 感謝 」を忘れず、当たり前には感じていません。
そして支援している皆様の気持ちが届いている証拠。
色々な感情が私の涙を止めませんでした・・・

何かやり遂げた訳でもないのに、救われたように感じました。

そして、継続への決意も!

二日目に続く・・・


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[2011/04/09 16:19 ] | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0)
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コメント
感謝
涙もろい私にはきついです。何が欲しい、灯油、買う、渡す、1番の支援です。靴は気が付きませんでした。当たり前の事気が付かないもんですね。うちにある古靴、って思いましたが、悩みどこです。何か出来ないか考え動きましょう。被災者が1番強い!
[2011/04/09 18:23]| URL | はみぱ #a1baVtk. [ 編集 ]
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