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今回私達プライム店長・マネージャーの育った小さな町が
津波にのまれました。 祖母が避難所生活し、その後隣町の登米市の病院へ搬送され 祖母を北海道へ連れて来る為、そして現地の情報と親父の友人などに会う為に 第二の故郷「宮城県本吉郡南三陸町」へ向かいました。 みなさんには知って頂きたい現地のリアルな情報です。 全ては一回では伝えられませんので何回かに分けて。 4月5日(火) 朝6:00 宮城県へ向けて出発しました。 ![]() 岩手花巻空港からはレンタカーにて 燃料事情がはっきりしない中でしたが、レンタカー会社さんにお願いした所 ガソリン満タンで用意してくれました。 空港からは1時間半位で隣町の登米市佐沼へ到着。 到着までの道のりでは地割れは所々あったものの大きな目に見える被害は無かったですが、 病院向かいの古い建物が道路に倒れこみそうになっておりました。 ![]() 病院は総合病院で南三陸町の被災者の緊急搬送先になっており、昼には人でごったがえっておりました。 病院のご厚意で退院を帰りの飛行機まで伸ばしてもらい、祖母の無事を確認し早速被災地へ。 南三陸町に入るまでは何の変りもない景色で逆に恐ろしいくらいでした。 ![]() 普段通りの看板。 この先よりは信号は全て消灯していて違和感がありましたが、山道を抜けるまではテレビやメディア以上の状況が待っているとは思いもしませんでした。 山道を抜けた頃、私たちに見せた津波の恐ろしい姿は ![]() 今までの緑や家のカラフルな映像では無く、急に白黒の世界に入る絶望的な景色でした・・・ ここよりは本当に悲惨な景色が広がり、進めど進めど「なんでこんなことに・・・」 という、言葉しか出て来ませんでした。 ![]() ![]() 町の光景を見ながら、まず先に向かった先は親父の親友のいる「南三陸町志津川字袖浜」。 この地区は普段、海水浴場の民宿などが集まる地区で親父の親友も「民宿 下道荘」を家族でやっており、 この志津川に帰ると必ずお風呂に入りに行きお世話になりました。 下道荘ホームページ その民宿はかなり高台の方にあり、津波時にも周囲の方々が車を停めに来られたそうです・・・が あまりの津波の大きさにこちらも甚大な被害。 無残にも1階部分は全て浸水し、停めにきた車などの上に2階部分が乗る程。 ![]() 形の残っているのは2階部分下にリフト車が2台見えます。 ![]() これは私と親父がいつも入りに来ていたお風呂。むき出しになっております。 私はこの南三陸町の地元の方に初めて直接話を聞いたのが、ここのご家族でしたが驚きました! 相当の心のダメージがあるはずのこの町の人達の強さがここまでだった事に。 最初の1週間は、やはりどうして良いかわからなかったそうです。 ライフラインは全て断ち切られ、何度も続く報道されもしない余震。 情報はラジオのみ周りがどうなっているのか?不安な中で何日も家族寄り添いこらえ 会う人会う人とは「生きてたかー」「体は大丈夫か?」のそれぞれの健康状態を確認する毎日。 ただ日を追うごとに、前を見始め段取りをつけ始め「やるべき事」を明確にしていました。 最初にする事はまず情報を集め状況を少しでも確認する事。 そして落ち着けば行方不明者の捜索。 今の所、緊急避難として鳴子市がありますが、半年間の受け入れ支援態勢で半年以降の職などの確保。 こちらの民宿でいえば、町を少しでも元に戻す為に自ら先頭に立ち何とか5年~10年で形にする!と力強い言葉で言い、「絶対戻すから、待っててくれ!」と言われました。 私はきっとこの状況でこんなに強い言葉は言えないと思います・・・頭が下がりました。 現在全員が同じ気持ちでは無いと思います。 未だに行方不明の身内がいれば、次のステップに行けないのも、うなづけます。 各地方自治体が市営住宅提供など動いており、大変感謝しておりますが例え移住しても、身内の行方がハッキリするか踏ん切りが付く、まだ先だと思います。 ですから、今後も継続的な支援が必要だと思うのです。 私たちが行った時、「少しでも多くの人に会いに行ってやってくれ!」と言われました。 私たちが行く事で少しでも励みになり、復興の約束を自分の力にしてくれた人がいるんです。 人を助けるのは人です。 つづく・・・ スポンサーサイト
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被害状況は凄まじいですね。しかし人々が素晴らしい!切り替えるにはよほどの根性ないと言えません。昨日も大きな地震があり、まだまだ予断を許しません。生きておられる方々の支援、心のケア、物資、家、働く場所、学ぶ場所、まだまだたくさんあるでしょう!実際に私が現地にと言えませんが、別の形で自分のできる範囲で関わって行きたいと思います。おばあちゃん元気で何よりです。
まずは、おかえりなさい。
この度は、被災地に出発すると知り、正直身震いしました。 何か私に出来る事…と考えても「義援金」に協力する事くらいしか出来ず本当に申し訳ありません。 ブログを読ませていただき、また写真を見せていただき、改めてテレビとは違う生々しさを感じました。 また現地の方々の復興に立ち向かう強い姿勢も伝わってきました。 現地に行き、こういう形で あなたが動いた事は きっと何かこれからの生きていく上での糧にもなる事と… そして、Twitterを通して知り合った私達にも糧になる事と…。 あなたは決して「ひとりではない」。 まわりにはたくさんの協力者がいます。 この先、復旧・復興には長い時日がかかるでしょう。 共に前を向いて、上を向いて やれる事を共にやっていきましょう。 そして みんなの心が少しでもあたたかくなりますように…。 お祈りしています。
[2011/04/09 13:30]| URL | E #tp7I797I [ 編集 ]
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