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2回目の被災地入り(後)【 EN project japan 】
2度目の被災地入り。

今度は何かをする為に向かいました。

その何か・・・


project2 【 Shoes for tomorrow 】

<アスリートから、未来のアスリート達へ。子供達が一歩一歩進むための靴を届ける。>

曽田雄志 実行委員長が各スポーツメーカーに協力を直接お願いし、集まった運動靴・・・

約700足

小さいサイズから大人サイズまで

これを直接渡す為、そして元気づける為!

2011-04-06 11.14.09

志津川小学校では
震災の影響で遅れた、始業式・入学式の為に授業の余裕が無い中、45分という貴重な時間を
「体育」の時間として、アスリートとの交流の時間にしてくれました!
この限られた時間で、少しでも多く子供たちとの時間を作る為に
5~6時間掛けて、前日からスタッフとアスリートでやった事は・・・

子供達の上靴のサイズを見てサイズ毎の靴のチェックと、一足づつに名前を手書きで入れて
スムーズに子供達に手渡せる下準備。
en.jpg

これが終わる頃には外は外灯が無い為、真っ暗。
歩くのもままならない状況でした。
間で、先生たちが帰る前にと先生たちにも靴を配り、先生方も喜んでおりました。

先生たちも被災者なんです。

そして、大量の搬入・仕分けの状況も見てくれていたPTA会長さんが、
私たちの為に、当初予定していた現在使用されていない施設ではなく。
お風呂のついた施設を急遽用意してくれました・・・感謝です!

この町では海が見えない施設は少なく、避難所としてホテルなども抽選で用意されていましたが
応募はするものの、【 海が見える部屋 】という理由で、
「その部屋に長居できない・・・」という、町の人の話も聞きました。
海だけ見れば絶景の部屋が逆に恐怖の震災を思い起こさせているようです・・・

夜、アスリートの方々と色々な話をしましたが、心配は今後であるとの話がありました。
私は、親父の友人の魚介類の加工業を営む会社に立ち寄りました。
近所の同業の方々で協力し、仕事に必要な水を海からポンプで吸い上げて使える様に
なったようですが、地元の漁業が機能していない為、輸入の銀鮭などを加工して販売した所・・・

まったく売れないようです。

「 どうせ買うなら被災地で・・・ 」
と思う私ですが、買い手の意思は違うものかもしれません。

自宅も流され、何とか残った会社を動かそうとしても、結局は思い通りにはいかない様です。

プライムでは福島・宮城・岩手の和牛を一時的に買い付けたりしましたが、
これには喜ばれました。

北海道では海を隔てた分だけ、被災地の為に動きたい人がいる。
そんな人たちに少しでもこのことを伝えたいです。

そしてもう一つ「 野菜 」です。
私はこの会社社長の親父の友人と朝ご飯を食べました。
ソーセージ・ゆで卵・自分の会社で加工した「銀鮭」

野菜はレタス。

被災地では野菜が圧倒的に足りていません。
栄養バランスが崩れています!
これについても【 EN project japan 】では
何か出来るシステムを考えていますが、これは食に携わる飲食店の私達にも
無視できない状況だと思います。

私のやっている【 Twitter 】のフォロワーさんには
義援金を始め、小児の靴・手作りの雑巾・ペン・タオルなどを託されて
持って行き喜んでくれましたが
これは直接持って行った為、必要な所に渡す事が出来たから・・・が

毎日必要な物が変わり、受け取りがされづらい物も多々あります。

送る側の個人的な支援が、届かないケースもあり悩んでいる人もいると思います。
少量の物に関しては、特に。

現状見てきて、全て足りているとは思えませんが
今回の被災地では、まだ分配されていない「 義援金 」栄養の上では「 野菜 」が印象に残りました。

被災者は避難所も何度も移動し
現在の状況は現地の人間にしか、わからない事も。

被災家族で被災者に近い距離の私でも行かなきゃわからない現状には悩んでいます。

私は、今回の【 EN project japan 】のメンバーに
『 ここがどんな場所であったか 』などの道先案内や仲介的な役割での参加の為、
実際にアスリートの実演や交流には立ち会えませんでしたが、その後に頂いたPTA会長さん
のお礼の電話と、その時のスタッフの写真で子供達と学校関係者の方々の
「 笑顔 」が物凄く嬉しかったです!

何をしても良いが、相手の気持ちに少しでもリンクして相手の「 笑顔 」
を想像して取り組めば自然と繋がるような気になりました。

【 EN project japan 】のメンバーに被災地南三陸町に住んでいた人間として
感謝すると共に、被災地で協力してくれた学校関係者の方々にも本当に感謝です!

そして南三陸町では一家に一人という制限があるようですが、
瓦礫撤去に時給1,000円・海での作業に時給1,200円と仕事が出来ておりました。
加工業の方も含めて、あんな状況の町でも前向きにくじけず、やっている人達を尊敬します。

次回は大分先になるでしょうが、南三陸町の方たちにまた「 驚かせて 」頂きます!
北海道の方々にも継続的支援をお願いいたします。

前にも言いましたが、町では知らない人にも必ず挨拶します。

誰しもが助け合い「 古き良き時代 」の日本人に良い意味で戻れたらば
被災前以上の経済・生活になると私は思います。

あの頃の町が今も懐かしいです。
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札幌駅前
焼肉レストラン プライム
佐藤直樹
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[2011/05/23 17:54 ] | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0)
2回目の被災地入り(前)【 EN project japan 】
前回、被災地入りした時は

・祖母を札幌に連れて来る。
・被災地のそして自分の生活した所の状況を確認し、北海道で伝える為。

今回は違う目的を持って行きました。

①震災2か月後の状況確認

②祖母の、り災証明書の取得

③プライムで集めた『義援金』を直接手渡しする事

④私、店長も参加していて、元コンサドーレ札幌の曽田雄志が代表を務める【 EN project japan 】の活動


前回4月5日に被災地南三陸町入りした時は東北はガソリンが無く、
一般の方は入りづらい状況の中、周りの助けもあり不安の中での出発でした。

今回5月12日に行く時は1か月での変貌の「 期待 」と自治体などの状況変化、
そして、【 EN project japan 】でTOPアスリートが与える地元への「 パワー 」

全てが前回とは違いました。

被災後初めて4月に現地入りした時に、いち早く現地の状況を聞きに来てくれたのが他ならぬ元コンサドーレ札幌【 曽田雄志 】、EN project japan代表として、震災前から決まっていた海外留学を後回しにしてまで、東日本大震災に正面から向き合いプロジェクトを発足させた人間でした。

その時に現地の状況を写真を見せながら説明し、
私が気になった避難所でサッカーをしていた子供達の「 靴 」の話を真剣に聞いてくれました。
このプロジェクトの発足の現場にいた私は帰札後に支援として非常に難しいであろう「 運動靴 」を提案しました。
これに対して曽田君は「 やりましょう 」の一発回答。
その後は各スポーツメーカーとの交渉の末、今回の被災地訪問、

EN project japan
project2 【 Shoes for tomorrow 】
<アスリートから、未来のアスリート達へ。子供達が一歩一歩進むための靴を届ける。>

に繋がりました。

被災地へ向かう実行委員及びアスリートは

実行委員長 曽田雄志(コンサドーレ札幌)
副実行委員 馬場杏輔(写真家)
副実行委員 八戸香太郎(現代書道家)
アスリート 飯村喜則(アイスホッケー日本製紙クレインズ)日本代表
      外崎 潤(アイスホッケー日本製紙クレインズ)日本代表
      春名真仁(アイスホッケー王子製紙イーグルス)日本代表
      阿部友和(北海道バスケットボールクラブ)

みなさんは5月11日夜にフェリーにての出発でしたが、
仕事の都合もあり、翌日12日午前7:45に飛行機で前回と同じ「 岩手花巻空港 」に向かい。
午前中には南三陸町に入る事が出来ました。

被災地入りした時は「変わってる??」と思うほどのトラウマの様に蘇る記憶と
ほぼ変わらない状況でした。
少し瓦礫をまとめ、不自然に電柱だけがきれいに立ち並ぶ光景でした。

まず向かったのは南三陸町仮役場「 ベイサイドアリーナ 」

こちらで祖母の「 り災証明書 」の発行手続き。
そしてプライムでお客様に協力して頂いた「 義援金¥300,055 」を手渡し。
義援金を持って行き、役場の方と話をしていると
「 町長を呼びますので少しお待ちいただけますか? 」と言われましたが、
証明書の発行も終わりタイトなスケジュールの為、折角のお話でしたが遠慮させて頂きました。
でも嬉しいですよね!

その後一度、志津川小学校に行き今回の学校との橋渡しをしてくれた
PTA会長さんを訪ねて、海水浴場のある袖浜にある親父の親友の自宅にお邪魔しました。
ここでは前回高台ながら、津波で経営していた民宿が倒壊し、津波の終着地でもあり
瓦礫が道を塞ぎ酷い光景でしたが、こんなに撤去が進んでおりました。

4月5日時点
4月5日

5月12日時点
5月12日

多少角度が違いますが、道が現れ海が見えるようになりました。
この光景の違いは震災前も含めて複雑でしたが、目に見える初めての形の変化でした。

そして、ここで【 EN project japan 】メンバーと合流。
実際に、自宅避難の親父の親友に家にあげて頂き、色々な話をしてくれました。

津波が来る前に5~6m位の放送だったのが
実際に見える沖にある島を見ると、

「 みるみる水位が下がり、オレンジ色の海底が姿を現し、その時点で避難している場所ではダメだと思ったから更に坂の上まで避難した。」

との事、私達ならば5~6mと放送されれば、「 そんなもんだろう 」と、最小限の避難しかしなかったはず。
海の近くに住み、危険なのをよく知っている地元住民の町の情報ではなく、今までとは違うという判断をした「 目 」が生存に繋がったのです。

そして、ちょうど下校時間の孫を「 助けに行け! 」と息子に言った後に、
「 息子を自分が殺してしまったかもしれない・・・ 」と、よぎらせる程の驚異の津波が襲ってきたのです。

こういう話を真剣に聞くメンバーと私達、普通には聞けない話を聞かせて頂きました。

そして、地元の方の北海道や世界の方々へ「 恩返しをしなければならない 」との言葉に
こちらは「 出来る事は探してでもやらなければいけない 」と思わせました。


アスリートにはどう映ったのでしょうか。

次回につづく。
[2011/05/17 17:45 ] | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0)
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