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南三陸町より2日目(後)
今回私達プライム店長・マネージャーの育った小さな町が

津波にのまれました。

祖母が避難所生活し、その後隣町の登米市の病院へ搬送され
祖母を北海道へ連れて来る為、そして現地の情報と親父の友人などに会う為に
第二の故郷「宮城県本吉郡南三陸町」へ向かいました。
みなさんには知って頂きたい現地のリアルな情報です。

全てを一回では伝えられませんので何回かに分けて。


4月6日(2日目)午後

この日の午後は南三陸町の仮役場が設置されている本部「 ベイサイドアリーナ 」
札幌で言う「 きたえ~る 」の様なスポーツ施設に向かう予定でしたが、

その前に近隣の親父の友人に会いに・・・

親父の友人は家は流されましたが、高台にある自分の会社(水産加工業)に避難しております。

会社はあれど、ライフラインはこちらも皆無、仕事をしたくても出来ない状況。
こちらの会社はこれから「 銀鮭 」などで稼ぎ時、この町は民宿・漁業・加工業と冬の間を
我慢し、これからの時期から・・・という時。

被災後の脱力感が半端でないです。
それでも、出てきた言葉は「 遠い所からよく来たな~ばあちゃん大丈夫だったか?
良かったな~良かった。飯食ったか?」と他人の心配です。

私は被災で家を無くした事やこの荒野の状況に、気を取られましたが加工業も今後の
道は?形の残った会社家屋ですが、この町の仕事の動きは先が見えないのも事実。
家屋の維持も含めて大変です。

そしてこの「 銀鮭 」はある人に聞いたのですが、北海道釧路市などの稚魚?卵?を購入し、
養殖していると聞きました。

という事は、北海道の販売業者は売り先が無くなってる・・・という事です。
他人事ではないんです。全ての面で。

ただ、この震災がもし真夏の海水浴客や観光が多い時期なら・・・身元の確定はより
一層大変な事になっていたでしょう。

親父の顔見て「 来たか~ 」の緩んだ顔は忘れられません・・・




そして「 ベイサイドアリーナ 」
こちらは総本部となり、自衛隊・消防など全てが集まる場所。

お医者さんは「 イスラエル医師団 」が被災者のケア・治療に来ていました。
地元の方も非常にしっかり見てくれている為、大変感謝していました。

この町唯一のお風呂もこの施設内、自衛隊が設置したお風呂に時間分けされて
各避難所から「 ベイサイドアリーナ 」まで入りに来ます。ここしかありません。

ここの総本部ではプレハブで仮役場があり、住民票などが取得できます。
こちらでの住所変更などで、本籍が南三陸町志津川・・・と入っていれば
当面は北海道に来ても治療は無料で受けられるとの事です。

こちらではボランティアスタッフなども多数おり仕事を手伝っておりましたが
目についたのはバタバタとしている光景です。
被災から3週間たった今も手続きが容易ではない上に、
被災家族への配慮に欠ける部分も見えました。

「 国は被災者への保障をしたくないのか? 」と思わせる事があり、疑問を
感じました。

ここ「 ベイサイドアリーナ 」での奇跡は多数避難者やボランティアなどが
入り混じる中で、前回志津川小学校の避難所で会えなかった親父の友人の
「伊藤さん」にバッタリあった事です。

同じく証明書などの申請に来たようですが、非常に対応に怒っておりました。

ベイサイドアリーナでの出来事は何か皆さんを混乱させそうなのでブログでは
伏せさせて頂きますm(__)m

手続きが一通り終わりましたが、札幌からまた南三陸町に手続きに来なければ
ならなくなりました。
例えば身内のいなくなったお年寄りだけでこのベイサイドアリーナでの手続き
などが出来るのか??

これも疑問です。




この後はまた親父の友人宅へ顔出しに・・・
そこでも子供が外で遊んだりして、子供の無邪気な行動に大人が助けられている
ように見えました。

そして、「 暗くなる前に町から出るんだぞ・・・」とも気をかけて頂き
午後2:30頃友人宅を後にしました。


ここで私と親父は2人で一緒にこの南三陸町
でたった一つだけ無理をしました・・・


それはこの家族に「 あったかいケンタッキーフライドチキン 」を届けてあげたい。

というのは、宿泊先に向かう時にケンタッキーの看板「ここから1.5Km」という
のを見つけていたから・・・

旨いもの食べさせてやりたいな・・・

飛ばせばギリギリ夕暮れには町を出れるのも、この滞在で時間を確認しながら行動
していたのでわかっていました。

どこにあるのか分からないし、商品があるのか営業しているのか分からないけれど、
あの看板目指して向かい。
地震の影響で橋が通れず迂回し渋滞の中、気づけば「全然1・5kmじゃないだろ~」
みたいな所まで・・・そして買い込み。

再度南三陸町へ・・・この時すでにPM4:00

PM5:30には南三陸町を出なければいけない。

かっとばして現地に着いたのはPM5:45。
到着後には走って家まで二人で届けると、先程別れた私達が戻ってきたのに驚き、
何で来たのか知ると家族みんな出てきて喜んでくれました。

まあ少し照れくさいのも、時間が無いのもあり、一目散に車で町を出ました。

今回私たちが帰って来た日、震度6強の地震がこの町を襲い、持ちこたえていた
親父の親友の民宿の屋根も落ちました。
またも津波の危機を感じ恐怖を感じたことでしょう。
これからも見守り、無事と早期の安心した暮らしを願います。


私たちの今回出来る南三陸町で出来る行動はあまりにも少なかったかもしれないですが、

行かなきゃわからない事が多かった私達の中では価値ある滞在でした。

今回来たことで北海道に戻ってする事が見えて来た事で
人に伝える事も、よりリアルに伝える事が出来ます。
これは相手に身近に感じてもらう為に必要な事です。

被災地はここだけではないです。
太平洋側、そして北海道でも多数の地域で被災を受けています。

何かをしたいとは思っているはず、でも行動が大事です。
仲間を集める事は出来るず、仲間に継続して共通の意識を持ってもらうのが難しいです。

今被災地では「 今はこんな生活で皆さんに助けてもらってるけど、この助けを無駄にせず
復興という形で見せる! 」という人が多くいます。

今必要なのは被災されていない方が、普段通りの生活を維持して
元気な地域を増やす事。

↓↓↓

元気な人が、元気のない人を元気にする手伝いをする事。

消費も含めて同じだと思います。
プライムも、ずっとは出来ないでしょうが、

今回 黒毛和牛を【 宮城県 】【 岩手県 】を出しております。
もちろん希望の方には北海道産もご用意していますが、出来る事はしていきたいと思っています。

そして南三陸町に、これから向かう人は是非ご一報ください。
教えれる事はお教え致します。

個人として出来る事は限られております。

{ 私は }
思い出の写真や、思い出の品が無くなってしまい
友達もいない北海道札幌での生活で少しでも多くの新しい思い出を作ってあげる事と

{ プライムとしては }
今まで沢山のお客様に来て頂き、沢山のお友達が出来たお店ですので
今後初めて来るお客様も含めて、被災地の状況や被災者の思いも伝えて少しだけかも
知れないけれど、継続的な支援を被災地に向けて出来れば・・・と思います。


そして来週から本格的に始動する
元コンサドーレ札幌 曽田雄志氏が代表になり、
誰でも理解し易い、社会貢献活動・支援活動の団体

「 EN project japan 」

は15日~札幌駅地下歩行空間にて北海道のアスリートが集まり
「 東日本大震災 」への義援金活動をします。

誰しもが助け合い「 古き良き時代 」の日本人に良い意味で戻れたらば
被災前以上の経済・生活になると私は思います。
DVC00019 - コピー

私がどれほどみなさんにこのブログを通して伝えれたのかはわかりませんが
私がいる事で被災後、身近に感じてくれた人はいるはずです。

今後もちろん私は南三陸町志津川に行く事になるでしょう。

そしてあの傷跡を絶対に忘れはしないでしょう。

IMG_1519 - コピー


私はあの町の人達の力強さに今後驚かされる事を希望します。



長々とブログにお付き合いありがとうございましたm(__)m
今後もよろしくお願いいたします。
焼肉レストラン プライム

佐藤直樹



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[2011/04/12 19:19 ] | 未分類 | コメント(3) | トラックバック(0)
南三陸町より2日目(前)
今回私達プライム店長・マネージャーの育った小さな町が

津波にのまれました。

祖母が避難所生活し、その後隣町の登米市の病院へ搬送され
祖母を北海道へ連れて来る為、そして現地の情報と親父の友人などに会う為に
第二の故郷「宮城県本吉郡南三陸町」へ向かいました。
みなさんには知って頂きたい現地のリアルな情報です。

全てを一回では伝えられませんので何回かに分けて。

4月6日(2日目)
到着日からお世話になった民宿は南三陸町に一番近いであろう隣町の
お世辞にも立派とは言えない民宿ですが、宿泊はどこもメディア・ボランティアで
長期で埋まり宿泊先だけ決まらなかった私たちの話を唯一聞いてくれた民宿です。
問い合わせは1週間以上何件に電話したでしょう。
この切迫した地域では話を聞く前に電話を切られたりと、理解できるだけに
燃料事情の不透明な中で防寒して車での寝泊りも覚悟していました。
そんな中、「 宴会場で良いなら・・・ 」と民宿の息子さんの
ご厚意で泊めさせて頂けることになりました。
こちらの事情も知っているだけに非常に気に掛けてくれて、暖かい民宿でした。

疲れた1日を振り返り親父と酒を飲み、
南三陸町志津川の方々の力強さに感動していると余震が・・・
実はこの余震知っている人もいるかと思いますが、1日5~10回程度あります。

震度1~3位では宮城のテレビでも放送しないのです。
そして最初は怖がっていた子供でも震度4くらいまでなら何事もなかったかの様に生活しています。

この日の夜も震度3程度の余震があり、落ち着いて寝る事もままならない夜でした。

朝早くから私達親子は「 実家探し・思い出探し 」に向かいました。
私が見つけたかった物は、昨年行った時に祖母が嬉しそうに
見せていた「 米寿の盾 」と小さな時に祖父に悪い事をした時に
脅かされた「 天狗のお面 」

目印も無い荒野の中、少し探しましたが紛れもない「 実家 」を発見。
IMG_1506.jpg
昨年行った時に撮った写真と同じ様に撮ってみました。
DVC00018.jpg

室内の状況と見比べてやっとわかる位でしたが間違いありません。

写真に残るL字の廊下の骨組みが残っていて良かったです。

残念ながら私たちの探す家の物は見つかりませんでしたが・・・
こちらを見つけました
2011-04-06 10.08.32
この家族には大事な思い出の写真と名前。
私は自分で誰かの思い出を見つける事が出来て良かったと思いました。

この後向かったのは亡き祖父のいるお墓、ここにはどうしても行きたかった訳があります。

被災後、メディアで見つけショックを受けた写真の一つが、この墓場から町を撮った写真。
ニューヨークタイムズ社で収めた写真の光景は、私も・・・そしてこの町の人達が墓参り
の帰りに「 必ず誰もが見る光景 」なのです。
ニューヨークタイムズ社が撮った被災地の写真はその時点で 172枚 数ある被災地の
写真の中の5枚目に出てきたのがその光景からの写真でした。
下の写真は私が撮った写真です。
IMG_1535.jpg

お墓では震度7とその後の余震の影響で墓石が倒れたり、ズレたりとただでさえ
密集したお墓が倒れていて、自分の祖父の墓まで辿り着くのも大変でした。
祖父の墓は、墓石がズレていましたがギリギリ持ちこたえた感じでした。
お水が出ない為、墓に水をやる事も出来なかったですが、最低限の掃除をして
墓石を戻そうと二人掛かりでやってもビクともしない墓石・・・

ちなみに南三陸町の『 石屋 』さんは津波で流されてしまったそうです。
ご冥福をお祈りいたします。

そして向かった先は「 志津川小学校 」今回訪れた2番目の避難所です。
2011-04-06 11.14.09
こちらでは避難所のあらゆる事が聞けました。

まず、親父の友人『 伊藤さん 』はこの避難所をまとめていた一人でしたが
到着した時には隣町登米市で働く息子さんの会社社長のご厚意で住居と仕事を
用意してもらえたらしく、避難所で会う事は出来ませんでした。

避難所ではよく見る段ボールで壁を作る様子は、昨日行った高校も含めて目にしませんでした。

ここでしたのは祖母の『 り災証明書 』の発行手続き。
『 り災証明書 』とは災害により、住居が【 全壊 】や【 半壊 】を証明するもので、
私の聞いた所【全壊300万円】【半壊250万円】と聞いており、この証明書が無いと
受けられないそうです。

隣町で入院中の祖母は直接来る事が出来ない為、代わりに手続きしようとしましたが
本人が必ずいなければ、発行出来ませんでした。

手続き中には避難所の若い方たちが協力して、受付業務を担当しており話を聞けました。

「今必要な物はなんですか?」
・おばちゃん達の下着が足りない
・子供達の靴が足りない
・お皿・箸・コップ

が、出て来ました。
若者が答えていた足りない物に自分たちの物は入っていませんでした・・・

・女性用下着は物資として入ってきても、サイズもあるのですぐ無くなるそうです。
そして防寒の類はかなりの量が来ており、これから暑い季節になるので肌着などの
薄手の服が必要な様です。

・子供達の靴は高校でも同じでこちらは体育館が寝泊りする様になっている為、
外で遊ぶ子供たちはすぐに穴が空いたりして、代わりが無い為。

・そしてお皿・箸などは・・・当初はゴミになる為、各自洗って使っていたそう
ですが各避難所では【 ノロウィルス 】が発症した被災者が出た為、急に少なくなった様です。
ノロウィルスについては、Twitterでも皆様が気に掛けていた対処も、
避難所にお医者さんが居る為、隔離・塩素消毒などで私の目からは避難所での
対処はしっかり成されているように見えました。


そして北海道の動きを伝えて
「今して欲しい事は?」には

・子供たちの為にスポーツ選手など来て欲しい。
子供たちも簡単に出歩けない地域の南三陸は他の地域で見るような
スポーツ選手などが来ておりません。それはきっと、「安全が確保できない」や
「ライフラインが回復していない」など被災地の酷さが妨げているのが原因の一つかと思います。
が、子供達・大人の身動きの取れないストレスにはスポーツ選手などと普段と
違う楽しみも必要な気がしました。
このブログを書いている今日は、「とくダネ!」の小倉さんが南三陸町に、そして
昨日も南三陸町内の取材が行われてテレビへの頻度が多くなってきました。
これからスポーツ選手などに元気を分けてもらえると私も嬉しいです。

そして今日の「とくダネ」で小倉智昭さんがこのような事を言っていました。
「最初にこの南三陸町に入った時、本当にこの町が復興できるのか?と思いました。
・・・今後2~3年おきに、この地へ見に来たいと思います。」

私もそう思いましたが、祖母が被災した時、安否確認が取れず89歳で一人暮らしの
祖母を言えないながらも「無理ではないか?」と考えていたのは確か。
ですが、最悪の状況でも「願掛け」をしたり、情報を集める事を諦めず続けた結果
・・・生存が確認できた。
であれば、この南三陸町の人達の力強い話を聞いた後に私が「 無理だ 」と
思う事はもう無いです。

絶対に南三陸町志津川は復興できます!

南三陸町より2日目(前)でした。        続く。



[2011/04/09 18:28 ] | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0)
南三陸町より1日目(後)
まず昨日の報告ブログでのコメントなどに感謝します。

今回私達プライム店長・マネージャーの育った小さな町が

津波にのまれました。

祖母が避難所生活し、その後隣町の登米市の病院へ搬送され
祖母を北海道へ連れて来る為、そして現地の情報と親父の友人などに会う為に
第二の故郷「宮城県本吉郡南三陸町」へ向かいました。
みなさんには知って頂きたい現地のリアルな情報です。

全ては一回では伝えられませんので何回かに分けて。

4月5日午後の南三陸町志津川字袖浜より

自宅避難している親父の親友の家には、この時に事前連絡し、
「 足りないものは? 」と確認し向かいました。

それは灯油。

配給の為、順番が回ってくるまでに時間が掛かるそうで、
岩手県花巻のホームセンターにて購入しましたが、一人36L限定でした。

灯油を届けて話を聞いて、北海道での動きや世界の支援をお伝えしました。
ラジオしかない情報ではじめて聞く部分が多数であったようです。
そして北海道の話になると・・・

「ラーメン」「室蘭焼き鳥」が現地に来たらしく、非常に喜んでおりました。

配給では被災当初は「おにぎり」が一人1個で
この時も大人ばかりでなく、小さな子供までも「何一つ文句を言わず」に食べていたそうです。

現在は大分改善されたものの、果物などが支給され子供たちのおやつに。

お風呂はベイサイドアリーナという、避難所(南三陸町仮設役場)の自衛隊が用意しているお風呂に
時間を区切り入りに行っているようですが、お年寄りなどは移動が大変です。

そして中々見せない部分では、やはり強盗などもあるようで被災後、漁協役員の方が命がけで漁協金庫の中の現金を運んだそうですが、他で被害はあったそうです。
それを保持する期間は怖くていられなかったとも聞いています。

現地の方に注意されたのは夜は出歩かない事、これは電気が通っていない為、外灯・照明が一切なく地元住民でも道に迷い、車なら瓦礫に入ってしまう恐れがある為。

ここでの町民の希望は「電気は無くとも、反射板などつけてくれれば・・・」懐中電灯や車でも反射板で少なくとも道が確認できれば・・・との希望がありました。

この南三陸町に滞在出来る時間は日が昇ってから午後5:30が限度だとも、この日に初めて気づきました。

次に向かう途中には私たちの祖父が亡くなった「志津川病院」、テレビでも見かけたかと思いますが「サンポート」。
病院には私が20代・弟(マネージャー)が高校生の時に、祖父の看病に2週間ほど毎日通った事があります。
IMG_1497.jpg
IMG_1499.jpg
その時の記憶が蘇り、変わり果てた病院を見て深いため息が出ました。

病院には夜遅くまで近所の人が「気になってさ・・・」と祖父の様子を見に来たりと、田舎ならではの思い出。
サンポートはこの南三陸町志津川であれば誰もが小さい時に両親や祖父母に連れられてきた事があるでしょう。
この施設が被災後初めてテレビで放送された時は絶望的な気持ちになりました・・・

そして向かったのは、「 SOS 」をグラウンドに書き助けを求めていた、「 志津川高校 」こちらには私の祖母が避難しておりました。
2011-04-05 14.29.00

避難所の寝泊りするのは「武道室」で、畳がある為非常に暖かく感じました。
裏では自衛隊が炊き出しを行っており、避難所としてはとりあえずの生活は出来ているかのようで200名くらいの避難者が未だに生活しています。
私と親父で少量ですが物資も持って行きました。

札幌からという事にとても感動され、驚いていました。
それと共に祖母の健康状態を気にして頂き、誰もが誰もを気に掛けている町の一体感を垣間見ました。

この「 志津川高校 」で印象に残った事が2つあります。

まず一つ目が
こちらのグラウンドでは15名位でサッカーをしておりました。
小学生から大人までが、、、とても楽しそうに。
2011-04-05 14.38.00

そこで気になったのが「 靴 」
2011-04-05 14.46.22
長靴でサッカーをしていたのです。

というのも、子供たちも含めて避難所に辿り着くまでには急を要し、靴も一足で避難してきた人たちがほとんど。
ただ、あるもので楽しむというのは近年の日本の家族に見て欲しい光景でした。
運動する時に履く靴を買う事すら現状では難しいのですから。
私は自然に車にサッカーシューズなど取りに行こうとしましたが、ふと考えればレンタカー、自家用車には靴が何足か入っていたので体が自然に動きました・・・おおぼけです。

そして二つ目が・・・
帰り際に気づいたグラウンドのバックフェンス・・・
皆様見えるでしょうか?
IMG_1503.jpg

『 感謝 』の2文字が・・・

私は呆然と立ち尽くして、涙が出ました・・・本当です。

こんな状況でも絶対に「 感謝 」を忘れず、当たり前には感じていません。
そして支援している皆様の気持ちが届いている証拠。
色々な感情が私の涙を止めませんでした・・・

何かやり遂げた訳でもないのに、救われたように感じました。

そして、継続への決意も!

二日目に続く・・・


[2011/04/09 16:19 ] | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0)
南三陸町より1日目(前)
今回私達プライム店長・マネージャーの育った小さな町が

津波にのまれました。

祖母が避難所生活し、その後隣町の登米市の病院へ搬送され
祖母を北海道へ連れて来る為、そして現地の情報と親父の友人などに会う為に
第二の故郷「宮城県本吉郡南三陸町」へ向かいました。
みなさんには知って頂きたい現地のリアルな情報です。

全ては一回では伝えられませんので何回かに分けて。

4月5日(火)

朝6:00
宮城県へ向けて出発しました。
IMG_1461.jpg

岩手花巻空港からはレンタカーにて
燃料事情がはっきりしない中でしたが、レンタカー会社さんにお願いした所
ガソリン満タンで用意してくれました。

空港からは1時間半位で隣町の登米市佐沼へ到着。

到着までの道のりでは地割れは所々あったものの大きな目に見える被害は無かったですが、
病院向かいの古い建物が道路に倒れこみそうになっておりました。
IMG_1465.jpg
病院は総合病院で南三陸町の被災者の緊急搬送先になっており、昼には人でごったがえっておりました。

病院のご厚意で退院を帰りの飛行機まで伸ばしてもらい、祖母の無事を確認し早速被災地へ。
南三陸町に入るまでは何の変りもない景色で逆に恐ろしいくらいでした。
IMG_1563.jpg
普段通りの看板。

この先よりは信号は全て消灯していて違和感がありましたが、山道を抜けるまではテレビやメディア以上の状況が待っているとは思いもしませんでした。
山道を抜けた頃、私たちに見せた津波の恐ろしい姿は
IMG_1470.jpg
今までの緑や家のカラフルな映像では無く、急に白黒の世界に入る絶望的な景色でした・・・

ここよりは本当に悲惨な景色が広がり、進めど進めど「なんでこんなことに・・・」
という、言葉しか出て来ませんでした。
IMG_1473.jpg
IMG_1478.jpg

町の光景を見ながら、まず先に向かった先は親父の親友のいる「南三陸町志津川字袖浜」。
この地区は普段、海水浴場の民宿などが集まる地区で親父の親友も「民宿 下道荘」を家族でやっており、
この志津川に帰ると必ずお風呂に入りに行きお世話になりました。
下道荘ホームページ
その民宿はかなり高台の方にあり、津波時にも周囲の方々が車を停めに来られたそうです・・・が
あまりの津波の大きさにこちらも甚大な被害。
無残にも1階部分は全て浸水し、停めにきた車などの上に2階部分が乗る程。
IMG_1488.jpg
形の残っているのは2階部分下にリフト車が2台見えます。
IMG_1494.jpg
これは私と親父がいつも入りに来ていたお風呂。むき出しになっております。

私はこの南三陸町の地元の方に初めて直接話を聞いたのが、ここのご家族でしたが驚きました!

相当の心のダメージがあるはずのこの町の人達の強さがここまでだった事に。

最初の1週間は、やはりどうして良いかわからなかったそうです。
ライフラインは全て断ち切られ、何度も続く報道されもしない余震。
情報はラジオのみ周りがどうなっているのか?不安な中で何日も家族寄り添いこらえ
会う人会う人とは「生きてたかー」「体は大丈夫か?」のそれぞれの健康状態を確認する毎日。

ただ日を追うごとに、前を見始め段取りをつけ始め「やるべき事」を明確にしていました。

最初にする事はまず情報を集め状況を少しでも確認する事。

そして落ち着けば行方不明者の捜索。

今の所、緊急避難として鳴子市がありますが、半年間の受け入れ支援態勢で半年以降の職などの確保。
こちらの民宿でいえば、町を少しでも元に戻す為に自ら先頭に立ち何とか5年~10年で形にする!と力強い言葉で言い、「絶対戻すから、待っててくれ!」と言われました。

私はきっとこの状況でこんなに強い言葉は言えないと思います・・・頭が下がりました。

現在全員が同じ気持ちでは無いと思います。
未だに行方不明の身内がいれば、次のステップに行けないのも、うなづけます。

各地方自治体が市営住宅提供など動いており、大変感謝しておりますが例え移住しても、身内の行方がハッキリするか踏ん切りが付く、まだ先だと思います。
ですから、今後も継続的な支援が必要だと思うのです。

私たちが行った時、「少しでも多くの人に会いに行ってやってくれ!」と言われました。

私たちが行く事で少しでも励みになり、復興の約束を自分の力にしてくれた人がいるんです。

人を助けるのは人です。

つづく・・・
[2011/04/08 19:40 ] | 未分類 | コメント(2) | トラックバック(0)
サプライズvol.6 テレビに・・・
みなさんこんにちは!

中々、天気も落ち着かない北海道ですが被災地には過酷な天気がいかない様に祈る毎日です。

そして
サプライズvol.06

先週HBCテレビ「 グッチーの今日ドキッ!」に生放送で出演しました

生放送であんなに長い時間出演したのは初めてで、恐ろしく緊張しましたよ・・・
放送では29日<肉の日>というのもあり、お店の紹介が大半でしたが<東日本大震災>の件で
私とマネージャーの幼少期を育ててくれた町への話もさせてもらえました。

感謝です!

そして本日、

毎朝見ている「 のりゆきのトークde北海道 」でも少し取り上げてもらいました。

気づいたのは番組が始まった頃で
UHBさんからのメールで気づき電話した所、電話での出演もさせて頂きました。

番組が始まる冒頭であのノリさんが
私のメールを読んでくれたそうです・・・本当にありがとうございますm(__)m

そしてご覧の皆様に少しでもこの震災を身近に感じてもらえたなら幸いです。

紹介されたメール全文?は下記の内容ですが1部抜粋されて放送されたようです。
以下全文・・・・

私は札幌駅前で焼肉屋をしております。

東日本大震災で被災者家族になってしまいました。

来週月曜日に『のりゆきのトークで北海道』にて北海道は何ができる?をテーマに番組をなさるそうでお礼を含めた、札幌に住む被災者家族としてメールさせて頂きました。

私も幼少期に過ごした土地は、今回最大被害とも言われる。

宮城県南三陸町志津川です。

昨年仕事で宮城県に行く時に13年ぶりにこの町に足を運び、改めて『古きよき時代』を残すこの志津川に自分の子供達を一度連れて来てあげたいと思いました。が、この小さな夢も叶わぬ結果となりました。

幸い親戚と祖母の生存は確認できました。
町は無くなりましたが、被災者が前を向いているのに私達は立ち止まる訳にはいきません。

私はあの小さな町の尊さを、少しでも北海道の方に身近に感じてもらい、みなさんに自分とリンクして考えてもらう為に札幌にいるのかな?と思っております。
きっとUHBのみなさんの番組は更に大きな影響で身近に感じて、古きよき時代の日本に近づくきっかけになるのでは?と思っております。


そして、わたしは4月5日(火)に南三陸町へ向かいます。

祖母を迎えにと

親戚や父の友人などに
本当に必要な物やリアルな情報をあの町へ確認しに行きます。

私の祖母が見つかったきっかけはアナウンサーの廣岡さんを含むTwitterのフォロワーさんです。
お店で始めたTwitterが重要な役割を担い仲間が呼び掛けてくれたからです。

長くなりましたが、月曜日も楽しみに見させてもらいます!

私は普段、旅行へ行っても写真は撮りませんが、何故か昨年南三陸町の町並みを撮りました。
あの町に呼ばれたのかもしれません。

北海道も出来ることが山程あります!
是非メッセージとして、みなさんに伝えてください!
感謝します!

佐藤
[2011/04/04 14:00 ] | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0)
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